夏休みってヒマですよね。人に合わないし、新しい情報も増えないし。
こんな制度なんて無くして、そのかわり週休3日にしたら結構皆幸せになるんじゃないかなと思うんですがどうでしょう。
で、まぁ、夏休みって基本的にヒマなんですが、そうするとたのしいことをしたくなりません?
たとえばアニメ・映画を観たりとか、漫画・小説を読んだりとか。
プログラムでなんか作ったりとか絵を描いてみたりとか、勢いあまって東方手書き劇場の案を練ってみたり、とか。
・とりあえず消費は悪くないって話
この部にいると消費活動はダメ、生産創作活動をしろ。みたいな空気を感じる時があるけど、どうなんだろ。
生産活動と消費活動ってどう違うんだろか。
例えばアニメを観るのは消費活動だよね。
けどたとえば、東浩紀さんって人は「動物化するポストモダン」という本で、オタク系文化からみた現代日本文化論を論じてたりしてる。そのために、アニメやゲームをゴリゴリ観賞してる。
そんな東浩紀さんがやってることって消費なんだろうか。どうも生産活動に見えるんだよ。
あと本を読んだことがない人間が本を書くってむりだよね。いや、打鍵する猿に任せればハムレットすら書けるらしいけど、そのまえに宇宙が収縮しちゃう気がするし。
消費は同時に生産でもありえるし、生産に辿りつくには消費をしないとダメだよね。
だから単純に、消費×生産○ってありえないんだよ。
Twitterのおかげで僕なんかでもプロの作家とかの日常を垣間見る機会が増えたけど、彼らってゲームしたり音楽聴いたりと物凄い勢いで消費活動をしてるよ。消費が悪いことだなんて神話じゃないかな。
消費活動って面白いし、たのしいし、それを悪いってのは不自然な発想じゃないかな。
・生産ってたのしいって話
じゃあ、なんで生産活動が推奨されてるんだろうか。
と言うより、なんで生産活動をするんだろうか。
僕はたのしいから生産活動をする。たのしくない生産活動はあまりしたくない。じゃなきゃやっぱり不自然だよね。
動機は消費活動と変わらない。自分が消費したいからその対象を作ってるし、もし誰かがそれを消費したと言うなら、その時の反応を消費してる。
結局、消費活動と生産活動は繋がっていて、どっちが先とかじゃなく、両方の延長線にあるものじゃないかな。
んでまぁ、そういった動機を持った人達が集まったのがシステム研究部じゃないのかなと。
元々そういう活動をするために集まったんだから、「それをしないとは何事だ」「それに外れたことをするとは何事だ」って生産しない人が叩かれてるのかな、と。
けど、僕の解釈だと生産も消費も同じ、ならば視点が違うだけじゃんってことで「生産でも消費でもない、むしろそれらを邪魔する行動」だけを叩けばいいじゃんと思うわけ。
主観がまじってて、どうやっても推論の域を超えないけどさ。
言いたいことは単純。せっかく色んな人が集まってるんだから不毛なことせず、たのしいことをしようよ。
好奇心は猫を殺すらしいけど、退屈は神をも殺すし。
・最後に
喧嘩はいいことだと思うよ。たのしい喧嘩に限るけど。
意見のぶつかり合いは、消費と生産を同時に行えるし、新しい見方も増えるし、いいこと尽くめだ。
これが、僕の思うたのしい喧嘩。
意見のすれ違いは、消費をせず、何も生み出さない、時間の無駄。
不毛な喧嘩。
最近のブログの記事で、「じゃあ何をやる部なんだブログ」とか「「暇つぶしで忙しい」」とかあるけど、どっちの喧嘩なんだろうね。
大雑把な感覚で言えば、このままだと後者だよ。
意見を書いても、それを放置しちゃうなら、アニメをレンタルビデオショップで借りて観てた方が何百倍も「たのしい」と思うよ。
僕も投資は悪くないと思います。
たのしくない消費って消費じゃないと思うんですよ。
そして、たのしい消費って自然に「投資」になりますよね。
あと、たのしくない消費をどうやってたのしむかって方向性もあって、例えるならB級映画をたのしむみたいな感じですか。
消費の先に生産者がいるのなら、消費活動の先には生産活動があると考えてます。
だからわざわざ「生産のための」って気張る必要ないのかなー、と。
ただまぁ、たのしみ方って色々あるから広く深い視点を意識するともっとたのしくなるよ、とは思います。
更に、自分だけでなくみんなも楽しくなることなら、なお素晴らしいですね!